レンズ越しのなにか
この世界は歪んでいる。
なにが真実で、なにが虚偽なのか。
私には目に入るものすべてが虚偽に思えた。学校も、会社も、街も、先生も、上司もその辺にいる人も、大切な人も、あなたも、私も。この世界さえも実はまやかしで、本当はただの石の塊かもしれない。そう考えると少しだけ心が楽になった。
創られた夢の中で、みんながみんなを演じている。必死に演じている。そしてようやく、この世界は成立しているんだ。
眠りは浅い。そして短い。夜に眠って、朝に目覚める。うんざりする。昼夜逆転の生活をしていれば、大変ねえ、と言われる。なぜ? と問いかけると、その人の中での常識と言われる固定観念によるところがほとんどだ。ふつうじゃない、と遠回しに言われたことで、ああ、私はふつうじゃないんだ、と認識する。
ふつうってなんなのかを考えてみた。
私が生まれるよりずっと前に、どこかの誰かの物差しで決められたメカニズムなのか。それとも人を創造した誰か(俗に言う神)の意図なのか。実のところ、そんなことはどうでもよくて、問題なのは、その『ふつう』が絶対評価ではなく、相対評価であるということだった。
約百年間続く長い夢。私はその折り返し地点にも満たない三十二年目にして、この夢を見続けることにうんざりした。
私が自動車ならリコール対象になるだろう。いや、店頭に並ぶことさえも許されないか。私がパソコンならどうだろう。表向きは正常動作をしていても、すぐにOS起動不可になってしまう。システムリカバリしても、パーツを交換しても、何度も同じ症状を繰り返す。すべてのパーツを交換しても不具合を起こすものだから、はい、次、とたちまち別の子に交換されてしまうのだ。私は押入の片隅で埃をかぶり、新しい子が可愛がられているのを声だけで認識する。私は可愛くない子。でもそれが少し心地よく感じる。だけど、月に一度は押入から出して、私のことを見つめてほしい。放っておいてほしいと思いながらも、同じくらい構ってほしいと思っている。私からはことを起こさず、誰かが見つけてくれるのをじっと待って、でも見つけられなかったら癇癪を起こす。可愛くない。
「愛して欲しい」
そう口にして、なにか違うなと思った。私が欲しいのは愛じゃない。じゃあ、なにが欲しいの? と聞かれても答えに詰まる。具体的に欲しいものはなにひとつなかった。でも、強烈になにかを欲している。それはまだ、私が出会ったことのないなにかであって、言語化するには理解が乏しい。結局、もやもやしたまま今日の晩ご飯をなににするか考えた。
この世界には私を欺くモノたちで溢れている。 これは本心だろうか。心にも思っていないんじゃないだろうか。この人は信用できるのだろうか。そんな問答を一日に何度も繰り返す。
そんな偽りだらけの世界だから、私は眼鏡をかけてみた。
ピントがあわず、ぼやけた世界がとても綺麗に見えた。醜いものを醜く、そのまま映し出してくれるツールだ。そうそう、人間の輪郭は歪んでいて、隙あらば私を食おうとしてくる化け物なのだ。
私が欲していたものはこれなのだろうか? 少し違う気もするが、先ほどよりは胸のあたりがすっきりした。
眼鏡をかけていれば、真偽を考える必要もない。レンズ越しに見える世界で生きていけばいい。そう割り切ってしまえば、もう少し夢の続きが見られそうだと思えた。
この長い夢が終わりを迎えるまでに、どこかの誰かの輪郭はもっと歪んでしまうのだろうか。それとも、はっきりと視認できるようになるのだろうか。
どうなったとしても、世界の変化ではなく、私の変化だろう。洗脳であったり、思いこみであったり、長い年月をかけて、『ふつう』に染まっていく。
もしも、歪んだままの日常で、はっきりくっきりしたモノと出会えたならば、私は心から笑えるだろう。それを期待したり、しなかったり、空気中にふわふわとたゆたう不純物のごとく、誰にも相手にされることなく、ただ時間を蝕んでいけばいい。
大きく空気を吸い込んで、口を噤んでみた。わずか数十秒で、ぷはっと溜めた息を吐き出す。そして深く呼吸する。
私はまだ息をし続ける。
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