夏は嫌いだ / 大友 青
夏は嫌いだ。
駐車場に敷かれたコンクリート。しばらく手で触れていると、じんわりと火傷してしまうほどの熱を持っている。子供用プールをエアポンプで膨らませながら、ぼんやりと眺めていると、一匹の蝉が空から降ってきた。蝉はコンクリートの上で仰向けになり、ぎぎぎ、ぎぎぎ、とうなり声をあげている。生物学に疎い俺でも、命が亡くなろうとしていることくらいは見てとれた。体を小刻みに揺らしながら、地面から跳ね返る熱を背に受けて、涙を落としているのかもしれない。
そんなことを考えていると、いつの間にか隣に居た娘が「せみー」と、それを指さした。娘はまだ幼稚園にあがったばかりで、日常を楽しむことに命をかけている。娘は蝉に近寄ると、持っていた園芸用スコップでそれをすくった。
「暑いよ、こっちにおいで」そう言って日陰に下ろした。生物学なんて言葉すら知らない娘でも、命が亡くなろうとしていることくらいは見てとれたらしい。
命の尊さを学んでいる彼女の成長ぶりに、涙して喜ぶシーンなのかもしれない。しかし、出来れば、家の敷地外に移動させてほしかった。この葬儀が終わったあと、彼を移動させるのは俺の役目になるのだ。俺はそれをどうしても避けたかった。
「あっちにもっと涼しいところあるよ」
それとなく娘に薦めてみる。しかし、ここがいいの、と聞いてはくれなかった。俺は焦った。子供用プールはどんどん大きくなって姿を形成していく。それに反比例するように、俺の気持ちは小さくしぼんでいった。
「なあ、あっちのがいいんじゃないかな、ほら、木も大きいのあるし」
「あ、プールできた」
こうなるともうだめだ。娘は俺の言うことは何一つとして聞いてはくれない。ひとまず蝉のことは置いておいて、プールに水を張ることにする。準備が整うと妻が様子を見に玄関から出てきた。
「きしょ」
開口一番がそれだった。妻の視線の先には、先ほどの蝉が転がっていた。子供の前で、きしょいとか言うな。堂々と注意できればいいのだが、俺も同じことを思ってしまっている。俺は虫が苦手なのだ。それは妻も同じだった。唯一、抵抗なく接することができるのが娘だった。しかし、当の本人は水着に着替えて、遊ぶ気まんまんになっている。
妻が俺を見た。そして先ほど俺が娘に薦めた木の方へ、顎をスライドさせた。
「ノーサンキュー」
「アイニージュー」
殺す。ふだんは、俺を足蹴にしているくせに、こんなときばかり頼るのはいかがなものか。しかし、娘の手前、ここは男を見せて移動させ、土を掘って埋めてやるのがパパというもの。そっと手をのばす。すると、「俺はまだ死んでねえ」と言わんばかりに、ぎぎぎ、ぎぎぎ、と動くのだ。よし、このまま放置しよう。そう決めて妻に敬礼する。冷たい視線が俺を見つめた。
夏は嫌いだ。虫がたくさん出るから嫌いだ。家のなかから一歩たりともでなくてすむのなら、ずっと引きこもって映画でも見ていたい。暑さは別に嫌いじゃない。だが、どうにも虫は苦手なのだ。
風呂あがりにアイスを食べていると、「みんみんみーん」という声が室内から聞こえてきた。まさか、そんな、ばかな、うそだろ。体は動かさず視線だけをぎょろぎょろと回す。すると、娘が「みんみんみーん」と言いながらケツを俺に向けて迫ってきた。
「やめなさい」
「せみー」
夏は嫌いだ。虫がたくさん出るから嫌いだ。外に居ても、家に居ても、虫が出るから嫌いだ。
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