アルビノ 前編 / 大友 青

 こんな馬鹿なことが現実だというのだから、人間というものは信じられない。

 少し考えるだけで間違っていることがわかるはずなのだ。人間が考えることをやめたのは、どれくらい前のことなのだろう。私はお世話係りのマルウェスに訊ねてみた。

「人工知能が、業務の八十パーセントを代行するようになったのが二〇六七年頃です。その頃から徐々に自分で考えるということをやめていったようですね」

 私は自分で訊いておいて、ふうん、と興味のない返事をした。二〇六七年と言えば、私が生まれる何十年も前の話だ。私が物心ついた頃には、人は働くことをやめていた。いや、人間をやめていたと言っても過言ではない。ロボットのメンテナンスも、新たな科学品の開発も、すべてマルウェスのような人工知能を持ったロボットが行うようになった。すると、どうだろう。人間は働くことをやめ、勉強することをやめ、好きなことだけして暮らす悠々自適な生活をはじめた。このふざけた世界で勉強などするだけ無駄なのだ。何もかも人工知能が持つ膨大なデータベースが答えを出してくれるのだから。でも、私はそんな自堕落な生活に疑問をおぼえた異端児だった。

 私の考えは、周りの人たちとはまるで違っていた。幼少時代はそのせいで酷いいじめにもあった。二十歳になる頃には、政府に精神異常者の電子烙印を刻まれている。人は子供の頃に六年間だけ義務教育を受ける。生きるために最低限の教養が叩きこまれるのだ。そのときに、私は勉強の楽しさを知った。何事も疑問に感じ、手で触り、なめて味わい、嗅いで理解する。インターネットで調べれば、すぐに答えがでることだ。でも私は、自らの力で知ることを優先してきた。周りの人々は、そんな私のことを気持ち悪く感じた。私自身、私がおかしいのだと思っていた。しかし、歴史を勉強するなかで、私以外の人がおかしいのだと気がついた。気がついてからが地獄だった。

 この世界は気持ちが悪くて仕方がない。百年前の人間がタイムマシンでこの時代にやってくれば、人類の行き着く未来として絶望するに違いない。もしかすると、私がその一人なのかもしれない。こちらに来て記憶を消されたのでは? そう考えたことは何度もあった。

「ねえマルウェス。私は今何歳になったのかな?」

「九十八歳になります」

 がっかりした。まだ百歳にもなっていないのか。この世界で、あと百五十年近く生きなければならないのだから、溜息をつくどころの話ではない。

「私が樹人じゅじんになって七十年が経つのね。ということは、マルウェスとの付き合いも七十年か。長いような短いような七十年だったね。何かお祝いしようか」

「お祝いですか? お言葉ですが、ミラ様に何ができるのですか?」

 私はマルウェスの皮肉に噴き出した。

「動けなくても何かできるでしょ。そうだ、歌を歌うのはどうかしら?」

 マルウェスは一秒近く間を置いて答えた。データをダウンロードしていたのだろう。

「歌。五十年前に消失した文化ですね。声を使い、音を生み出し、旋律を奏でる芸術ですか。人々は歌に感情を揺さぶられていたようですが、需要の低下に伴い、自然消滅という状況です」

「え? 歌って今はもうないの?」

「はい。私も指で数えられるほどしか聴いたことがないですね」

 衝撃だった。人間は歌を忘れてしまったというのか。私がまだ人間だった頃、歌には元気をもらったり、励ましてもらったり、慰めてもらったり、何かとお世話になったものだ。目をつむれば、今でもあの旋律を思い出す。母が最期に口にした歌。【ハッピーバースデートゥーユー】という三世紀も前の音楽を。

 私が樹人になったとき、母は、私の目の前でその歌を歌った。涙を流しながら、私の幹に触れながら、優しく歌った。それ以来、母とは一度も会っていない。

 母は正常な人、、、、だった。なのに、異常な私のことを気持ち悪がらず、最後まで味方でいてくれた唯一の人だった。【樹人地区】には、人間は入場ができないことになっている。マルウェスのようなロボットのお世話係りと、樹人となった元・人間のみの奇々怪々な空間だ。樹人を土に植えるときだけ、その家族が立ち会うことができる。あれからもう七十年。母はとっくに他界しているだろう。そう考えると、心の底から羨ましく思った。

 

 私が樹人になったのは、二一〇八年のことだ。世界人口約百四十億人。人口は年々増加し、国境というものは存在しなくなっていた。家屋・ビル・商業施設などの建築物を増やすために、森林伐採が進み、地球上のほとんどの緑が失われ、海は埋め立てられていった。野菜をどう育てるか協議された結果、各地区に農業施設(百階建て以上の大きなビル)を建て、田畑は階層をわけて立体的に設置された。人工太陽の力で農作物に最適な環境条件を設定し、コンピューターで管理されている。

 増えすぎた人口のせいで、地球はとある危機に曝されていた。森林伐採により光合成不足が発生し、空気中の二酸化炭素濃度の著しい上昇が懸念された。このまま何もしなければ、あと数年で人類破滅を迎えてしまう。

 世界大統領は言った。

〈マザー、どうにかならないの?〉

 マザーとは、人工知能たちを束ねる最高指揮者であり、彼女自身もまた、人工知能のロボットだった。

〈人間は増えすぎています。これ以上の繁殖は危険です。人口を減らす。さらに植物を増やすという原始的な方法が最も効果的と言えるでしょう〉

〈ありがとうマザー。じゃあ、そうしてみるよ〉

 世界大統領は阿呆面でそう言った。それから僅か十日で施行されたのが【植物刑】だ。

 

【植物刑】――懲役十五年以上の犯罪行為、または、出産罪、、、を犯した者に執行される。執行猶予は認められない。

 

 学者の真似事をしている人間たちは反論した。そんな非道徳的な行為は赦されない、と。学者風情は自分で考えることに優越を感じている愚者の集まりだ。そんな自分をオカズにマスターベーションする性的嗜好者ばかり。しかし、真似事とは言え、自調自考する彼らの意見には私も賛成だった。どう考えても頭がおかしい政策だ。だが、極少数派である反対意見は、圧倒的な数の暴力にあっさりと負けた。

 世界大統領は自信満々に言った。

〈人口を減らし、酸素を増やす。そして犯罪の抑制にも繋がる素晴らしい取り組みです。また、犯罪者でなくとも、自ら樹人化に立候補される方も歓迎します〉

 この世で、こいつが一番馬鹿だと思った。百歩譲って、罪人に対する処刑として……というのは受け入れたとしよう。だが、命を生み出す行為が罪になる、、、、、、、、、、、、、とは、人類が衰退していく愚考であることくらい、一秒で脳裏を過ぎるものだろう。いくら考えることをやめたと言え、そんな馬鹿な話があるか。だが、百四十億いる人類のほとんどが、彼と同等に大馬鹿野郎だった。

 

【出産罪】――刑法 第四三五条 生命を生み出した者は植物刑に処する。

 

 新たな政策は、妊娠者を犠牲にする意味を孕んでいた。この政策が可決されたとき、妊娠者には選択権が与えられた。

 産んで樹人として生きるか。

 堕ろして人間として生きるか。

 そして、私を除くすべての人が、中絶を選んだ。私だけが、出産を選んだ。周りの人々が、化け物を見る目で私を見た。私の首筋にある精神異常者の電子烙印を見て、「ああ、やっぱりね」と口々に言った。そんなこと慣れっこだった。私の目には、何の躊躇いもなく中絶を選んだ母たち、、、のほうが、よっぽど気が狂っているように映った。

 私のなかに芽生えた感情。これを母性というのかはわからない。この馬鹿げた世界に対する反骨精神だったのかもしれない。それでも、私は我が子を産む決心をした。樹人になろうが、なるまいが、そんなことは知ったことではなかった。世界かれらは、罪のない生命を殺せば人間、、、、、、、、、、、、で、罪のない生命を育めば化け物、、、、、、、、、、、、、だと言う。どちらが真の化け物かは明白である。

 受けて立とうじゃないか。抗ってやろうじゃないか。たとえ死ぬことより辛い未来が待っていようとも、こんな愚癡ぐちな世界で生きていく意味はない。私は母にはなれないだろう。お腹にいる我が子が、私の顔を知ることはないだろう。この子も世界に従順な大人になるだろう。だけど、それでいいと思えた。いくら嘆こうと、私のような者が異端なだけなのだ。この世に染まれなかった社会不適合者なのだ。だから、この子が立派な大人、、、、、になれることが一番なのだ。そう考えれば考えるほど、涙は止まらなかった。それでも私は、この子に名前をつけたかった。たった一度だけでも、この手に抱きたかった。お母さんって呼んでほしかった。

 

 私はホログラムでつくられた青空を仰いだ。【樹人地区】は光合成しやすいよう、常に晴天に設定されている。七十年間、一度たりとも雨を見ていない。マルウェスが日に何度かシャワーを浴びせてくれるのだが、それを雨と呼ぶには無理があった。

「ねえ、マルウェス」

 マルウェスは私の顔を見上げ、小首を傾げた。

「あの子、元気にやっているかしら」

 マルウェスは、また一秒ほど動きを止めると、おもむろに口を開いた。

「ミリル様のことでしょうか」

 ミリル。そう、ミリル。愛しい私の子。

「ええ、そうよ」

 マルウェスは、言いにくそうに眉尻を下げた。

「ミラ様……もう七十年です」

 マルウェスはそれ以上、何も言わなかった。彼女なりの優しさに心が疼いた。人間の寿命は長くても六十年。食生活の変化・運動不足。それらは人間の寿命を短くしていった。つまり、ミリルはもう死んでいるのだろう。

「どんな生活を送ったのかな」

 マルウェスはまた、言いにくそうに言葉を選んだ。

「ミリル様は、ミラ様の母君であるユリナ様と二十年同居しておりました。その頃にユリナ様が天命を迎えました。その後、幼なじみの青年と結婚し、二人の子宝に恵まれました」

「まあ! 私には二人も孫がいるのね」

 思わず大きな声を出してしまった。私に手があれば、拍手していたことだろう。

「それで、そのあとはどうしたの?」

「すみません、これ以上はデータにありません」

「そんなはずないでしょう」

「……想像してみてください。ミラ様は、それがお好きでしょう? 『すぐに答えがでてはおもしろくない』ミラ様がここへ来たときにいただいた言葉です」

「マルウェスは意地悪なのね」

 私は頬を膨らませた。しかし、その通りだ。ミリルが結婚し、二人の子宝にも恵まれた。その情報だけで、いろいろな想像を働かせることができる。初デートはどこだったのだろう。初キッスはロマンチックな場所だったのだろうか。愛のあるセックスはできたのだろうか。プロポーズは何て言われたのだろう。そんなことを考えてみるだけで気分が高揚した。

「嬉しそうですね」

「マルウェスには、きっとわからないよ」

「そうですね、恋愛や家族と言うのは、データとしては保持していますが、その感情がどのような感覚なのかはわかりません」

「その割には、私のことをよくわかっているようだけど?」

「人が悲しむこと、辛くなること、私が行動することでそれらを引き起こす可能性がある場合は、実行しないようにプログラムされています」

「そんな男がいれば、世界中の女が幸せになれるのにね」

「今の世界では無理でしょう」

「言うねえ」

 私は笑い声をあげた。マルウェスはなかなかの皮肉屋だ。そんなところが私と意気投合して、今のような関係になり、毎日私を楽しませてくれるようになった。元々は、隣に植わっているウィリアムの担当だったのだが、彼女が私の担当に立候補したと聞いたときは、驚きと嬉しさが同時にやってきた。なぜ? と訊ねても、わからない、と答えた。けれど、私はその答えを知っている。

〈それが人間の感情ってやつだよ〉

 マルウェスは、人の心を知っているのだ。人の心を持っているのだ。全世界の人間・ロボットが否定したとしても、少なくとも私だけは、彼女が優しい心の持ち主だということを知っている。

 だから、私は精一杯、笑顔をつくる努力をした。

「寿命じゃなくて、不幸があったのでしょう?」

 マルウェスは、一秒停止したあとに言った。

「……はい」

 

後編に続く(2019年3月2日公開予定)

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