2019/06/15

海月 第二回 / 芥田

 朝、目を覚まして一番に思うことといえば「まだ眠っていたい」だし、夜眠る前に最後に思うことといえば「疲れた」だった。それが今では、一日中「むなしい」と心が泣く。「仕事をして帰って寝るだけ」と泣く。

「だけ、なんて今まで思ったこともなかったのに」

 むなしさは心に空いた穴から、こぼれていくわけでもなく、しくしくと降り積もって海のように深くなった。気がついた時にはあっぷあっぷと溺れかけて、息すらまともにできない有様で、しかもそれが、湖面に顔を出して餌を強請る鯉のように無様で、我ながら見るに耐えない醜態であったのに、私は「だけ」に向き合う勇気が未だに出ない。

「鰓呼吸ができない自分が悪いのだ」

 的外れなことで自分を責め立ててお茶を濁した。呼吸すらままならず、むなしさの海の上を泳ぐこともできず、溺れながら水面をたゆたい、自分を責め立ててでも、現在の生活に満足していない自分を、自分の中で認めてしまうことの方が、まるで今までの自分は人生の無駄足を踏んだと認めるようで、怖ろしかった。

「将来したいことに向かっていけるよう、慎重に進路を考えましょう」

 脳味噌に貼り付いた担任の青青とした声がこだまする。

 一人になることを怖れ、長い間自分の心の声に耳を傾けることもなく、群衆の声にばかり従ってきた。仕事をし、食べて寝る。毎日同じ場所を通り、同じことをして同じところに帰る、まるで時計針のような代わり映えしない生活を続けて、人が「おいしい」といったものを「おいしい」といい、人が「おもしろい」といったものを「おもしろい」といって周りと歩調をあわせた。その方が自分の内側を見るよりよっぽど楽だ、周りを見渡して足並みをあわせるだけで良い。

「人がおいしいといっているのだからおいしい」

「人がおもしろいといっているのだからおもしろい」

 もっとうまく群衆に紛れなければ、もっと完璧に群衆と足並みをそろえなければ、と群の顔色を常に窺い、溶け込むことばかりに必死になっていたら、ふと気付いた時、私は群衆の中のどこに自分がいるのかすらわからなくなってしまった。

 草原で群れて草を食べている羊達は、群の中のどれが自分か認識しているのだろうか。群に紛れ、群が草を食べ始めたら草を食べる。群が移動を始めたらそれについていく。それを羊は自分の意志だと信じ込み、群を離れることは決してない。

 それと同じく、私も群の中に身を置き、群が右を向けば右を向く。左を向けば左。一生群の中で過ごし、群の中で死ぬというのならばそれでも構わない。だが、私の脳裏にふっと浮上した何気ないチョークの白い文字が、急に私を群の中から引っ張り出して殴るように責め立てる。

「今までなにをしてきたのか?」と。

 その声は時間が経つにつれて大きくなった。脳内の暗闇で反響に反響を繰り返し、その声を、どうにかやませようとするが、不意にまた「あれ?」と思った。

「私はどこ?」

 好きなものは人の好きなもの、嫌いなものは人の嫌いなもの。なら、その“人”とは誰のことだろう。顔も知らない誰かになろうとしている内に自分すらわからなくなった。

「私って、なんだ?」

 答えの出ない自問自答の迷宮に迷い込む。好きなものは? やりたいことは? 食べたいものは? どんなに簡単な質問を投げかけても、私の空っぽの心は問いかけを反響させながら「わからない」と答える。

「そんなはずはない、今まで生きてきたのに、好きなものすらわからないはずはない」

 焦るように自分にそういい聞かせ続けて眠気を待ってみても、どうにも寝苦しくて微睡むどころか、先ほどから再三寝返りを打っている。だからといって何が改善されるわけでもないのに、左に体を向けて暫く立てば右を向きたくなる。右を向けばまた左にと終わりがない。仰向けでも俯せでも、体のどこかがごわごわして居心地が悪い。

「散々逃げてきたのだ、今更また都合よく逃げられるはずもない」

 照明を落とした暗い部屋に、長方形の遠慮のない青白い光が浮き上がる。

 暗闇に慣れた目は、強い光にくらんでディスプレイに表示される数字がよく見えない。右上の角から曲線を描いて画面に刻まれた液晶のヒビに嫌気が差しながら、枕にスマートフォンを一旦伏せて数回、目を瞬かせてもう一度ディスプレイを覗き込むと、今度は深夜の零時近くだということがわかった。

「もう三時間以上経ってる。明日、早いのに……」

 悪態を聞く相手なんて、部屋にはいないのに、思わず文句は声となってこぼれた。一人暮らしが長引くにつれ、独り言の量も不思議と増えていき、今では人と話すよりも独り言の方が多い日も少なくない。うつ伏せで枕に顔を埋めて無理矢理眠ってしまおうと目を閉ざして暗闇に戻ると、何気なく口をついて出た独り言が、何か引っかかるような余韻を残していることに気付く。針で穴を開けたような小さなものだったが、それでも冬の空に浮かぶ一番星よりも強い光を放ち、暗い脳内でちかちかと瞬いて、入眠を妨げる。

「明日早いんだから、明日早いんだから……」

 その煌めきを片付けないことには寝付けそうにないと悟るや、嫌気が差した。うんざりしながら念仏のように瞼の裏で同じ言葉を繰り返して、手っ取り早く記憶に思い当たる節がないかと照らしあわせていく。だが、記憶というものは古い映画フィルムのように厄介だ。現在から過去に至るまですべて一本で繋がっていて、過去を遡ろうとすればするほどにフィルムを引っ張り出さなくてはいけないし、目的の記憶に到達する前に、それまでの記憶が辺りに散らかって収拾がつけにくくなる。それに昔になればなるほど、フィルムは埃をかぶって、コマも飛び飛び、じっと見つめていたって何の記憶なんだかさっぱりなコマもある。まるで天竺を目指す果てしない旅。近場の記憶にしばしば寄り道をして時間を食われながら、それでも根気強く記憶をがさがさ漁っていると、胸につっかえていた言葉の響きが、顔をあわせる度に早く結婚しろと口うるさくなって以来、疎遠気味になっていた母のものだということがわかった。頭の中の一番星は細い軌跡で弧を描きながら、すっと私の心に降ってきて、ぽちゃんと落ちた。塩辛い虚無感でできた海に、小さな王冠が静かに海面を波立てた。沈んでいく星は自分の頼りない光を使って、波立った水面をスクリーン代わりに、ぼんやりと古ぼけた記憶を頼りない濃度で投影した。

「夜に本読んだら目が悪くなるよ」

「明日、朝早いんだから」

 私が学生だった頃の母の口癖だった。

 母にもう寝なさいと促されて自室に引っ込んでから、深夜十二時頃になると、まじめな警察官が街を勤務時間外にパトロールするみたいに、寝間着姿の母が部屋の扉を少し開いて姿を見せる。その隙間からこちらを覗いて、私がまだうつ伏せで枕を首の下に添え、スタンドライトのささやかな明かりを頼りに本を読んでいるのを確認すると、母は常套句を私に浴びせ、枕元の目覚まし時計を指さしながら、夢中になって本にかじり付く私が返事をするまで、指摘と問いかけをじゅんぐりに繰り返す。

「明日起きれるの?」

「学校の休み時間に読みなさいよ」

「大丈夫、大丈夫」

 母をうっとうしいと思いながらも適当な相槌を打ってあしらい、部屋から追い出す。だが、次の日の朝、母に「だから早く寝なさいっていったでしょ」と小言をいわれゆすり起こされるまでがセットであり、常だった。

 

第三回に続く(2019年6月17日公開予定)

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