パラダイム・ロスト 第三回 / 大友 青

「おいしー!」

 立ったままピザを一切れ頬張るユウ。僕はユウの後を追ってリビングに入り、「行儀が悪い」と注意をしてからケーキもあるからね、と言う。そして後ろから抱きしめた。腕に何か冷たい液体が触れたようだが気にせず、もう一度声にした。

「誕生日おめでとう」

「ありがとう、いっぱい運動したからおなか空いちゃって。こんなに幸せな気持ちは初めてかもしれない」

 大げさだな。ケーキとピザを用意しただけなのに、彼女がそこまで喜んでくれている理由がこの時の僕には理解できなかった。

 ユウから離れて冷蔵庫に向かう。そして右手を冷蔵庫のノブに掛けた時、視界に映ったのは赤色の液体にまみれた自分の腕であった。

「ユウ、どこか怪我してるのか」

 僕はキッチンから飛び出してユウに訊ねた。ユウは何もなかった様子で平然とピザを頬張る。

「私は怪我してないよ。それ返り血だから。よく石鹸で洗ってね。ピザはやっぱりチンした方がおいしいね」

「え?」

 いったい何を言っているのだろう?

 本当に僕は何を言っているのかわからなかったのだ。

 ユウは僕を横切り、食器棚から小皿を取り出すと、持っていたピザを小皿に乗せてから電子レンジに入れた。あたため開始のボタンを押すと回転するピザを見つめながら口を開く。

「私はこの日が来るのを来ないでほしいと思いつつ、来てほしいと願っていたのかもしれない。それが私の誕生日に訪れるなんて少し複雑な気持ちだけど、私はようやくシンに本当の事を言う事が出来る」

 そして僕を見る。ユウは微笑みながら涙を流していた。

「私は人殺しなんだよ。それも大量の、連続殺人鬼」

「悪い冗談はよせ、これ以上は怒るぞ」

 本当に冗談だと思っていた。いや思いたかったのかもしれない。流石に人殺しなんて冗談は度が過ぎる。

「私は特異体質なの。気がついたのは中学生の時、人間の三大欲求と言われる中の一つ、性欲が私には殆ど存在しなかった。

 その代わりに私の中にあったのは、殺人欲。

 シンにも誰それが死ねばいいのに、みたいなちょっとした怒りの感情を憶えた事はあるでしょう? 私はそれが著しく強いらしいの。

 殺したくて殺したくて仕方がなくなって、殺したら、たまらない快感が私の中を突き抜ける」

「…………」

 まだ続けるか、と無言の睨みをきかせるも、ユウはボロボロ涙を流し、その涙は止まる気配がない。そして言葉を続ける。

「私が最初に人を殺したのは高校生の時だった。嫌みを言う担任の先生に殺意が止まらなくて、カッターナイフで首を一突きにした。

 二度目は、大学生の時に付き合っていたDV彼氏だった。そんな事を繰り返して、私は満たされ、幸福感を味わう事が出来た。

 その後、私に襲いかかるのは罪悪感。

 私にも理性はある。人を殺してしまった事は犯罪であり、何度も自首をしようとしたの。でも出来なかった。

 何度も自分の中の殺人欲を鎮めようとした、でも出来なかった。

 私は今、死にかけのお爺さんを殺してきた。帰ってきたらシンが居て、誕生日を祝ってくれている。これほど幸福な事は他にないんじゃないかって心の底から思うの」

 この時まだ半分は悪い冗談に思っていた。だから僕は言葉を返したのだ。

「自首しよう、病院にいこう」

 しかし、ユウは首を横に振った。

「自首もしないし、病院にも行かない。人類の中に紛れ込んだ危険因子だとは自分でも思ってるし、私に殺された人たちに申し訳ない気持ちももちろんある。でも、私にも人権がある。生きる権利がある。人と少しだけ違う本能で生まれてしまっただけなのよ」

 頭がイカれている。ユウが本当に人を殺してしまっているかは調べないとわからない。でも精神科の受診は必須だと思った。冗談だったとしても、こんなタチの悪い冗談を言うのは精神がおかしくなっているのだ。そして、一番近くにいて、気づいてやれなくて、力になれなかった僕自身を不甲斐ないと思った。

「私の精神は正常よ。検査も何も異常はなかった。カウンセリングも受けた。私の心はいたって平穏。穏やかなの」

「じゃあこれからも人を殺して生きていくと言うのか? 僕に話して何をしたかった? 止めて欲しいのではないのか?」

「私はあなたに止めて欲しいんじゃない。選んでほしいのよ。真実を知って、私をどうするか。あなたはどうするか、を」

 頭が困惑して、耳鳴りがした。これ以上、この部屋に居ると壊れてしまう、僕は鞄を持って部屋を出た。出ようとした僕にユウが大きな声を出した。

「一週間、時間をあげる」

 それは僕に対する余命宣告のように聞こえた。

 

第四回に続く(2019年3月19日公開予定)

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