パラダイム・ロスト 第四回 / 大友 青

 気がついたら、また僕は眠ってしまっていたようだ。

 時刻は深夜二時を少し過ぎたところであった。結局、昨日、いや、時刻的には一昨日起こった現実を再び夢で見てしまう。一日と少ししか経っていないのに、これで三度目であった。

 相葉には風呂に浸かるよう言われていたが、熱いシャワーで汗を流すだけに留めた。今の僕に風呂に浸かる体力は残っていない。

 体をタオルで拭いた後、医者から処方されているスルピリドを水で胃の中へ流し込む。食欲は無かった。しかし、腹の虫はグー、と気にくわない様子だ。

 頭が割れそうな痛みに耐えかねて、僕は再びベッドに倒れ込んだ。

 ――僕はどうすればいい。

 正解などあるのだろうか。いや、正解しかないだろう。彼女を警察につきだして、罪を償わせる。それが正解であり、正論なのだ。

 なのに、僕は決断できないでいる。

 

 僕は森の中を走っていた。

 木を避けながら走って、草をかき分けて走って、何かから逃げているようだ。

 何か? 決まっている。

 ユウだ。

 僕は転んだ。

 そして僕に追いついたユウは、僕の唇にキスをしてから恍惚の表情で言う。

「私の幸せのために死んで」

 

 

 時刻は九時一五分。

 最悪な夢に起きたそばから深いため息がでる。

 ――ホラー映画の見すぎだろ。

 このご時世に都合良く森はない。普段から好きでよく見ているホラーやミステリーの影響だろう。

 体はぐっしょりと汗をかいていた。寝間着にしているスウェットを脱衣籠に脱ぎ捨てると、シャワーで汗を流し、紺色のスーツに身を包んで部屋を後にした。

 しばらく休みをとろうかとも考えたが、その場合、部屋に引きこもってしまう事を懸念した。そして考えるのはユウの事ばかりになる。その方が脳みその寿命は短いと思った。だから僕は変わらずに出勤し、どうでもいい上司の小言を聞きながら、ほんの少しだけでもあの出来事を忘れられる瞬間に、心の底から安堵した。

 それは事象から逃げているだけであり、ただの甘えである事は理解している。

 だが、まともに向き合い、その事ばかり考えてしまう事はどうしても避けたかったのだ。

「おはよっす。死にそうな顔してますよ」

 相葉がコーヒーを僕の机に置き、面倒なテンションで話しかけてきた。コーヒーからは湯気が立ち上り、混ざりきっていないフレッシュがマーブル模様を描いている。きっと香ばしく良い匂いがしているのだろうが、昨日と変わらず、僕には何の匂いも感じる事が出来なかった。

「……そんな酷い顔してるか」

「ええ、仏頂面がさらに際だってるっす。彼女とうまくいってないんですか?」

「…………」

 ユウとは上手く行っている。行っていた、と言う方が正しいのだろうか。これまで何の問題もなかった。僕とユウは一度たりとも喧嘩をしなかったし、ユウは僕の支えだ。依存しすぎて、彼女が疲れてしまったのかもしれないが、嫌な顔をしているのを見た事もなかったし、不満を言われた事もなかった。

 ユウは僕には勿体ないくらい出来たひとだ。穏やかで、それなのに活力・元気があって、僕の話を聞いてくれて、優しく包んでくれる。

 ぬるま湯に浸かっているような、心地の良さがユウにはあった。

 そんなユウにも、僕に言えなかった一面があった――。

「……すまん」

 急に吐き気を催して、口元を抑えながらオフィスを飛び出した。男子トイレの個室に入ると便器に向かって大量の胃液を吐き出した。何も食べていないせいか、吐瀉物は粘り気を帯びているものの、見た目は綺麗なものだった。

 肩で呼吸をしながら、その場に座り込んでしまう。

 これまでは何かある毎に全てユウに相談してきた。誰にも相談ができない現実は、僕に五年前の黒歴史を思い出させた。

 

第五回に続く(2019年3月20日公開予定)

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