迷えるメダカ 第一回 /深水千世
今日もネコさんは来なかった。
俺の待つネコさんというのはニャアと鳴く猫ではなく根子という珍しい苗字のじいさんだ。彼の白髪交じりの丸顔を探しても、行き交うのは見知らぬ人ばかり。
ため息を漏らし、そっとショルダーバッグに目をやる。クロワッサンの袋が少しはみ出ている。読みかけの文庫をその横に押し込んで出口に向かうと、すっかり顔馴染みになった司書が「さようなら」と声をかけてくれた。軽い会釈だけの返事をして、自動ドアを出る。冷房のきいた図書館とはうってかわって、むわんとした夏の熱気が体にまとわりつく。
「何様だよ、さんざん待たせやがって」
憧れの人や好きな女ならともかく、男子中学生たる俺が白髪のじいさんを待つことになるなんて、この町に引っ越してきたときには予想だにしていなかった。
東京に住んでいた俺が群馬県桐生市に引っ越すことになったのは、梅雨入りのニュースが流れた頃だった。
「お父さんな、生まれ故郷の桐生に引っ越すことにした」
画家である父親が突然そう宣言した。いわゆる青天の霹靂だ。俺はびっくりして口をあんぐり開けたままになったし、いつも上品ぶる母親もこのときばかりは「はあ?」と素っ頓狂な声を上げた。
桐生市は群馬県の東南部にあり、他の市を挟んで東と西に別れている飛び地自治体だ。昔から織物の産地として名を馳せ、今も街並みにその名残がある。今では機械金属産業が盛んらしい。東京から特別急行列車に乗れば二時間弱で行ける。月に一度の骨董市は面白いし、モダンで洒落た店もある。けれど山間の田舎という印象は拭えない。まして父親の実家は東の市街地から遠く離れた西の地区にあったため、路線バスも届かない有様だ。
すったもんだの挙げ句、両親は離婚。父親に引き取られてここに引っ越すことになった。毎日のように繰り返される両親の喧嘩から解放されたとき、例年より早く梅雨が明けていた。七月半ばのことだった。
季節外れの転校生はただでさえ目立つというのに、東京出身というだけで田舎では往々にして羨望と妬みを引き寄せる存在になるらしい。
「拓也君、東京生まれの東京育ちなんだとさ。なんでこんな田舎にいるんかね。俺ら田舎もんと合わないんだから東京に帰んなくていいんかい」
新しいクラスメイトが嫌みったらしく言う。けれど、好きで東京に生まれたわけじゃないし、二十三区外だ。どちらかといえば中心地よりも神奈川県に近い。それに祖父母が生きていた頃はこちらによく遊びに来ていたから、群馬は第二の故郷だ。だけど東京という地名に劣等感を抱く奴らにはそんな事情はどうでもいいらしい。彼らはクラスで目立つタイプで、自信過剰なところがあり、気に入らないという態度丸出しだった。
でも、彼らが俺をいびるのはそれだけが理由じゃないと思う。自分たちのグループに引き込もうとしたのに、俺が誘いに乗らなかった腹いせだろう。俺はいつも地味な子を揶揄して笑っているような奴らと一緒にいたくなかったんだ。それ以来、俺の全てが気に入らないらしい。東京出身だということも、有名画家の息子ということも、何もかも。黙って教室にいるだけで目障りなようだ。
「あんなチビで垢抜けない奴、俺らより田舎くさいだろ」などと聞こえよがしに言うようなところが幼稚だ。どうせチビだよ。でもお前らみたいに他人の体つきをからかうほど器は小さくないんだ。そう心の中で繰り返し唱え、自分を慰めた。
救いだったのは幼なじみの勇司が隣のクラスにいたことだ。彼は祖父母の家の隣に住んでいて、長期休暇や年末年始に訪れるたびに一緒に遊んでいた仲だった。
「同じクラスだったら良かったんに。俺が一緒なら、僻み野郎になんも言わせないがね」と、正義感の強い彼は群馬の方言丸出しで唇を尖らせた。
「平気だよ、構わなければいいんだから」
「お前のそういうところ、すげえよな」
「大人ぶってるって、さっきも聞こえよがしに悪口言われたよ」
「そりゃ、あいつらはガキだからさ。もっと小さいときからお前はそんな風だったと知る俺はすげえと思うよ」
ふっと口許が緩んでしまった。勇司はどこまでも真っ直ぐで裏表がない。俺にしてみれば、その素直さのほうがよっぽどすげえのだ。
「部活どこにするん? 拓也も野球やろうぜ。せめて部活が同じだったら楽しいじゃん。それにうちの野球部、部員が足りなくてさ。どう?」
「ごめん。俺、スポーツ苦手なんだよね」
「そうか。じゃあ、文化系にするん?」
「帰宅部でいいかと思ってるんだけど」
「うちの学校、部活は必ず入らないといけないんだよ」
「えっ、俺、そんなことするくらいなら家でチェロの練習したいんだけど」
「あ、まだやってたんだな」
やっていたも何も、幼稚園の頃から有名演奏家に師事してきて「このままいけば音大に行ける」と太鼓判を押してもらえる腕前だ。だけどそれを口にするのは止めた。もし鼻にかけているように聞こえて勇司にまで嫌われたらと思うと、怖かった。
自分で言うのもなんだが、チェロの腕は確かだ。けれど、音楽で飯を食っていこうとは思っていない。にもかかわらず辞めないのは、それが俺にとって唯一誇れるものだからだ。俺からチェロをとったら何も残らない。成績は中の下、運動もできないし体力もない。美人の母親には似ず、父親そっくりの野暮ったいルックス。特に背が低いことが一番のコンプレックスだった。チェロは嫌いでもないけれど好きでもない。ただ、俺が俺でいるためのより所だ。
残念ながら桐生市ではチェロの先生が見つからなかった。別の市に行けばレッスンは受けられるけれど、俺の小遣いではとてもじゃないが月謝代はおろか交通費も払えない。父親は何故か以前からチェロを続けることに反対だったので、協力をあおぐことはできなかった。引っ越してもチェロを習い続けたいと言ったとき、彼は冷たく「俺は一切援助しない」と言い放ったのだ。自力でより所を守ることもできない情けなさは想像以上に惨めで、ここでの暮らしをより一層息苦しいものにした。引っ越しを強引にすすめた父親と、田舎そのものを恨むことでやりきれなさを昇華させるしかなかった。
ほどなくして、自分がクラスだけでなく北関東の田舎そのものに馴染めないことを悟った。毎日が長閑すぎて退屈だ。自転車だったら行動範囲が広がるかと思ったけれど、坂道が続いてすぐバテてしまう。
クラスメイトから『これだから東京もんは都会育ちを鼻にかけて』と陰口を言われると、心の中では『田舎もんは劣等感だらけでひねくれてる』と対抗するようになった。勇司だけは仲良くしてくれるけれど、隣のクラスに逃げても好奇の目にさらされる。休み時間に教室で好きな文庫を読んでやり過ごそうとすれば、その姿が格好つけているように見えたらしく、ますます誰も寄りつかなくなった。
俺を目の敵にしている奴らはまだ単純でわかりやすい。構わなければいいだけだ。それよりも日和見を決め込んで黙っているだけのその他大勢のほうが俺をずっと惨めにさせた。こちらを盗み見る目に映るのは同情なのか蔑みなのかわからない。わからないから怖くなる。沈黙は俺の首を締めつけ、どんどん息苦しくさせる。
そんな中、担任の田中先生が入部届を書くように言ってきた。年若く、見るからに気が弱そうな女だ。
「部活動はどこにするか決めたん? もし良かったら私が顧問をしている美術部にどう?」
美術という言葉だけで吐き気がする。画家の息子だからって絵が描けると思われちゃ迷惑だ。俺はぶっきらぼうに「結構です」と答えた。先生は困った顔になる。
「富田君、明日には書いてきてね。もう夏休みになっちゃうよ」
「どこにも入部したくありません」
「残念だけど帰宅部はないの。とりあえず、どこでもいいから書いてきて」 俺の貴重な時間を『どこでもいい』と決めた活動で無駄にしろというのか。学校生活への絶望と田中先生への失望が押し寄せる。それを境に、俺の中で学校に行きたいという気持ちは限りなくゼロになってしまった 。
第二回(2019/12/26)に続く
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